お寺の縁起
縁起(あまちゃ寺名前の由来)
当山は慶長2年(1597年)江戸創成期の傑僧 本成院日念上人(堀之内法縁、受法6万人と言われている)によって開山されました。
法華経守護の四天王(東方持国天・西方広目天・南方増長天・北方毘沙門天)の名を掲げて、同上人が精力的な布教活動を行った記念碑的寺院でもあります。
同上人開山になる兄弟寺院は市原市内に3カ寺現存しております(妙栄寺・長妙寺・円成寺)。
その後、7世日信上人は当山中興と伝えられ、墓石には「当寮開基日信聖人」と刻まれており、また寺族墓地には法師大徳の墓石も多いところから子弟の教育に尽力したものと思われます。
本山に次ぐ「中本寺」の格式により、末寺を1カ寺持っていますが、明治16年、本尊、山門を残し全山焼失。滅亡の危機を翌17年20世妙行院日円上人の代に鐘楼と鬼子母神堂を建立、仏祖三宝を仮安置、22年本堂、24年庫裡を独力で建立と同上人の奮闘で一挙に復興されました。当時、当山は檀収は無に等しく、この時期に廃寺となった例は付近に数多いことから、日円上人によって当山の今日があると言ってよいでしょう。
三十番人堂は昭和49年新築。当山中興日円頌徳碑が残っております。5世日晴上人は越後村田妙法寺23世へ。11世性悟院日和上人は市原市光徳寺27世・小西学室77世へ。12世宝樹院日馨上人は飯高教蔵院314世へ。13世玄了院日芳上人は武州小向大雄寺で示寂。14世霊寿院日擁上人は飯高283世・駒籠高耀山21世へ。15世信譲院日顓上人は飯高前玄講主・阿仏坊32世へ。飯高156世・滝谷妙成寺31世春地院日珠上人は当山で示寂。
現在は24世を数え、妙法蓮華経薬草喩品の「その雨はあまねく等し」の教えを原理原則とし、多くの社会性、革新性のあるユニークな行事を行っています。 また、境内には天然のあまちゃが約108株植樹されており、昔ながらの本物の甘茶を出すただ一つの寺院として「あま茶寺」の異名で知られています。